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剛道 ステ配点 儲け指数 消耗度 攻撃指数 LvUP指数 防御指数 武器 タイプ 主 副 副 副 副 刀 一主三副 力 敏 知 体 10 ★★★★★ ★★★★★ ★★★★★ ★★★★★ ★★ 剣 一主二副 敏 力 知 10 10 ★★★★ ★★★ ★★★★ ★★★★ ★★★★★ 拳 一主二副 力 体 心 10 10 ★★★★★ ★★★★ ★★★★ ★★★★ ★★ 槍 三修 知 力 心 10 10 ★★★★ ★★★★ ★★★★★ ★★★★★ ★★ 棍 一主二副 力 心 体 10 10 ★★★★★ ★★★★ ★★★★ ★★★★ ★★ 日本的考察 剛道 ステ配点 対人 対Mob 対BOSS 消耗度 道相性 武器 タイプ 主 副 副 副 副 刀 一主三副 力 敏 心 体 10 ★★★★★ ★★★★★ ★★★★ ★★★ ★★★★★ 剣 一主二副 敏 力 心 10 10 ★★★★ ★★★★★ ★★★ ★★★ ★★★★★ 拳 一主二副 力 体 心 10 10 ★★★★ ★★★★ ★★★★ ★★★★ ★★★ 槍 一主三副 力 体 知 心 10 ★★★★ ★★★★ ★★★ ★★★★ ★★★ 棍 一主二副 力 心 体 10 10 ★★★★ ★★★ ★★★★ ★★★★ ★★★
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交渉ゲーム中の役割 議長役割議論を取り仕切る。 条約の可決案(*1)を提示する。 目標この交渉を合意(*2)させる。 各国代表A国、B国、C国、D国、E国、F国の6国。 役割自国の利益に見合った主張を行う。 議長の提示する可決案に対し、賛否の意見表明を行う。 目標自国の利益をなるべく大きくするような合意に導くこと。 配布物ステータスカード:自国の状況(人口、エネルギー消費量など)が書かれている。 配点表:4つの議題のオプションそれぞれに対する自国の配点が書かれている。 知見カード:4つの技術に対して、自国が持っている科学的知見が書かれている。主張を行う際に利用する。 (*1)議長が提案する可決案とは 各議題に対するオプションを選んだもの。 各議題に対し、議長は「保留」を提案することもできる。 (*2)合意の条件 可決案について5カ国以上の賛成を得ること。 交渉ゲームの進み方 各国が主張したい議題ひとつのみを選び、主張する。 一通り主張が終わった後、議長は補助的に何カ国かの主張を聞く。 議長が最適と思われる可決案を提案する。 採決する。各国は、その可決案に対する自国の点数を計算し、与えられた賛成最低点よりも多ければ賛同することができる。 合意(5カ国以上の賛同)が得られた場合、ゲームを終了する。 合意が得られなかった場合、 各国がさらに主張を行う。 議長は適宜可決案を提示する。 これを繰り返す。 制限時間以内に合意が形成されなかった場合、条約破棄となり、各国の得点は0となる。
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あらまし 文法の勉強は、2段階に分けることができます。 知識を身につける段階とそれを運用できるようになる段階です。 学校でforestなどの文法書を使っている人がいるかもしれませんが、文法書を読み込んだだけで運用の練習をしないのは本当に意味がありません。 もしかしたら、全ての文法事項を勉強し、理解して、それから、演習を積もう、と考える人がいるかもしれませんが、それは間違いです。 そもそも、知識を身につけるには、演習を積まなければ身につきません。演習を挟まないで、一気にすべてを理解しようとしても、ページを進める先から前の知識は零れ落ちてしまうでしょう。 そこで、インプットと問題演習が並行できるようなトレーニング系の教材をやることをおすすめします。 お金がない人は、安心してください。 僕はYouTubeで英語の授業を5種類以上してきて、そのたびに教材を作成してきましたので、無料で使える教材を大量にもっています。 ですから、それを使いましょう。あとで案内します。 その前に皆さんにわかってもらわなければならないお話がまだ沢山ありますから、このまま読み進めてください。 読解英文法を意識せよ 英文法といえば「ネスクテを何周もすること」「Vintageを完璧にすること」だと思っていませんか? 学校のテストで点数をとるためなら、それで構いません。 学校の先生としては、文法問題集に載っているものをそのまま出すのはめちゃくちゃ楽なんですよ。 しかし、入試はそういうわけにはいきません。配点の多くを占めるのは「読解問題」です。 したがって、英文を読解するのに必要な英文法からやることが大切です。 Can I~とMay Iの違いとか、mostの語法とかをやっている暇があったら、関係詞を用いた複雑な文を読めるようにしたり、ingの判別を出来るようにしたりとか、比較級を用いた英語特有の表現を解釈できるようにしたりしてください。 もちろん、細かい文法を問う問題も出題されますが、優先順位的には後回しで構いません。それか、長文読解の勉強をしながら、気になる文法や語法が出てくるたびに調べて覚えていけばいいのです。 StudyPlaceでは、「読解が最終ゴール」であることを強く意識した教材が沢山ありますので、それをフル活用し、最短距離で英語全体の学力を上げていってください。 ※余談ですが、僕は、高1の頃に1年かけて塾で英文法の授業を受けていました。ここでめちゃくちゃ刺激を得て文法が好きになったので無駄だったとは言いませんが、読解力が一切身につかなかったことを後悔しています。読解を普段からやることで「単語・熟語・文法」をどれだけやればいいかも分かりますし、やはりゴールを意識することはとても大切なんだなと感じました。 意訳力を身に付ける 英文法を勉強すると、国語力も強化される――という話をしたいと思います。 文法を学ぶ中で、英語と日本語の違いを痛感する場面は沢山あります。 「直訳だと意味が取れないとき」なんていうのはまさにそうです。 例えば、 「the last thing I wanted to do」 ↓ 私がしたかった最後のこと これだとよく分からないですね。 けど、こう考えてみてはどうでしょう。 「私がしたかったこと」のランキングを1〜100位まで書いていったときに… 1、ディズニーランドに行く 2、カラオケに行く 3、温泉に行く …(省略) 100、地獄に落ちる と並んだとして、一番最後に来る「地獄に落ちる」というのは確かに「したかった最後のこと」ではありますが、言い換えれば「最もしたくなかったこと」であると分かるでしょう。 こんなふうに、「the last〜」がからんだ文においては、英文の中には「どこにも否定語(notとかnoとか)がない!」くせして、訳すときは否定語を入れて訳すのです。 こういうのを「潜在否定」と言うのですが、英語にはこういう独特な表現が沢山あるので、慣れていくしかありません。 直訳でうまくいかないものを意訳するというのは、ある意味で国語力が問われます。 ですがこういうことをきちんと訓練していかないと、英語というのは読めるようにならないのです。 やみくもに英語に沢山触れていればいいわけではないのです。日本人である我々が英語をどうやって理解するか、という点を意識し、英語力とともに国語力まで高めてしまおうという視点で勉強シてほしいと思ってます。 例外のないルールは無い 以下の2つの文を見てください。 ① I will go there tomorrow.(私は明日そこに行きます。) ② The girl there is my sister.(そこにいる女の子は私の妹です。) 僕が何を言いたいかわかりますか? 皆さんの中には、there(そこに)は絶対副詞、と覚えている人も多いと思います。 「え、そうじゃないの?」 はい、そうです。 ですが、もしあなたがそう覚えているのであれば、②の文がうまく説明できないのではないでしょうか? たしかに、英語を勉強していて出てくるthereは、基本的には「副詞」です。ということは、名詞以外を修飾するはずです。 ですが、②の「the girl there(そこの女の子)」のように、名詞の直後に置かれた場合、あたかも「形容詞」であるかのように使われてしまうんです。 他にもいくつか例文を挙げておきましょう。 ex1) The sushi there is very good.(あそこの寿司は超おいしい) ex2) The hamburgers there are really tasty.(そこのハンバーガーはめちゃくちゃ美味しい) ex1であれば、thereは副詞なのにths sushiという名詞を修飾しています。 ex2であれば、thereは副詞なのにthe hamburgersという名詞を修飾しています。 こういうのを知っていくと、人によっては「奥が深いなあ、、」と言って英文法の世界に沼っていきます。 中には、覚えて終わりでいいものを、「なぜこういう用法が出てきたんだろう?歴史的になにかあったのかな、、、」と言って調べ出す人がいます。 絶対にやめてください。 そもそもこういう細かい知識が直接問われたところで、捨て問の範疇であり、そこに力を注ぐなら読解やほかの科目に力を注いだ方がいいに決まっています。 こういう細かいことは、大学に入ってから英文法を専攻して学べばいいだけのことです。 例外に出会ったら、「ふーん、こんなのがあるのか」と分かったことにしておいて、深入りはせず、本当に必要な勉強のほうに集中してください。 英文法の教材について 英文法の基本事項のページに飛んでもらえれば、英文法を30分×15回で身につけられる教材が置いてあります。 「え、15回だけで身につくの?」 と思うかもしれませんが、読解英文法を強く意識し、ある程度内容を絞っています。 これは、皆さんを「過度な文法マニア」にしないための配慮です。 是非、この教材を使って英文法を早めに一周して、いち早く長文読解の勉強に移って頂きたいと思っています。
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アドバイザー 三田千代子(上智大学) 発表者 飯島 渡会 ~
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問題 https //www.toshin.com/center/2011/kokugo_mondai.html 次の文章を読んで、後の問い(問2〜6)に答えよ。 ※問1(漢字の問題)は省略しています。 ① わたしは思い出す。しばらく前に訪れた高齢者用の(注1)グループホームのことを。 ② 住むひとのいなくなった木造の民家をほとんど改修もせずに使う(注2)デイ・サーヴィスの施設だった。もちろん「バリアフリー」からはほど遠い。玄関の前には石段があり、玄関の戸を引くと、玄関間がある。靴を脱いで、よいしょと家に上がると、今度は襖。それを開けてみなが集っている居間に入る。軽い「認知症」を患っているその女性は、お菓子を前におしゃべりに興じている老人たちの輪にすぐには入れず、呆然と立ち尽くす。が、なんとなくいたたまれず腰を折ってしゃがみかけると、とっさに「どうぞ」と、(注3)いざりながら、じぶんが使っていた座布団を差し出す手が伸びる。「おかまいなく」と座布団をおし戻し、「(注4)何言うておすな、遠慮せんといっしょにお座りやす」とふたたび座布団がおし戻される・・・・。 ③ 和室の居間で立ったままでいることは「不自然」である。「不自然」であるのは、いうまでもなく、人体にとってではない。居間という空間においてである。居間という空間がもとめる挙措の「風」に、立ったままでいることは合わない。高みから他のひとたちを見下ろすことは「風」に反する。だから、いたたまれなくなって、腰を下ろす。これはからだで憶えているふるまいである。からだはそんなふうに動いてしまう。 ④ Aからだが家のなかにあるというのはそういうことだ。からだの動きが、空間との関係で、ということは同じくそこにいる他のひとびととの関係で、ある形に整えられているということだ。 ⑤ 一方でバリアフリーにつくられた空間ではそうはいかない。人体の運動に合わせたこの抽象的な空間では、からだは空間の内部にありながらその空間の〈外〉にある。からだはその空間にまだ住み込んでいない。そしてそこになじみ、そこに住みつくというのは、これまでからだが憶えてきた挙措を忘れるということだ。ただっぴろい空間にあって立ちつくしていても「不自然」でないような感覚がからだを侵蝕(しんしょく)してゆくということだ。単独の人体がただ物理的に空間の内部にあるということがまるで自明であるかのように。こうして、さまざまなふるまいをまとめあげた「暮らし」というものが、人体から脱落してゆく。 ⑥ 心ある介護スタッフは、入所者がこれまでの「暮らし」のなかで使いなれた茶碗や箸を施設にもってくるよう「指導」する。洗う側からすれば、割れやすい陶器製の茶碗より施設が供するプラスチックのコップのほうがいいに決まっているが、それでも使いなれた茶碗を奨(すす)める。割れやすいからていねいに持つ、つまり、身体のふるまいに気をやる機会を増すことで「(注5)痴呆(ちほう)」の進行を抑えるということももちろんあろう。が、それ以上に、身体を孤立させないという配慮がそこにはある。 ⑦ 停電のときでも身の回りのほとんどの物に手を届けることができるように、からだは物に身をもたせかけている。からだは物の場所にまでいつも出かけていっている。物との関係が切断されれば、身は宙に浮いてしまう。新しい空間で高齢者が転びやすいのは 、比喩(ひゆ)ではなく、まさに身が宙に浮いてしまうからである。 まわりの空間への手がかりが奪われているからである。「バリアフリー」で楽だとおもうのは、あくまで介護する側の視点である。まわりの空間への手がかりがあって、他の身体、──それは、たえず動く不安定なものだ──との丁々発止のやりとりもはじめて可能になる。とすれば、人体の運動に対応づけられた空間では、他のひととの関係もぎくしゃくしてくることになる。あるいは、物とのより滑らかな関係に意を配るがために、他者に関心を寄せる余裕もなくなってくる 。そう、たがいに「見られ、聴かれる」という関係がこれまで以上に成り立ちにくくなる。空間がいってみれば、 中身を失う・・・・。 ⑧ X 「中身」? ⑨ この言葉をいきいきと用いた建築論がある。(注6)青木淳『原っぱと遊園地』(王国社、二〇〇四年)だ。青木によれば、「遊園地」が「あらかじめそこで行われることがわかっている建築」だとすれば、「原っぱ」とは、そこでおこなわれることが空間の「中身」を創(つく)ってゆく場所のことだ。原っぱでは、子どもたちはとにもかくにもそこへ行って、そこから何をして遊ぶか決める。そこでは、たまたま居合わせた子どもたちの行為の糸がたがいに絡まりあい、縒(よ)り合わされるなかで、空間の「中身」が形をもちはじめる。その絡まりや縒り合せをデザインするのが、巧(うま)い遊び手のわざということであろう。 ⑩ 青木はこの「原っぱ」と「遊園地」を、二つの対立する建築理念の比喩として用いている。 そして前者の建築理念、つまりは、特定の行為のための空間を作るのではなく、行為と行為をつなぐものそれ自体をデザインするような建築を志す。「B空間がそこで行われるだろうことに対して先回りしてしまってはいけない」というわけだ。 ⑪ では、造作はすくないほうがいいのか。(注7)ホワイトキューブのようなまったく無規定のただのハコが理想的だということになるのだろうか。ちがう、と青木はいう。 ⑫ まったくの無個性の抽象空間のなかで、理論的にはそこでなんでもできるということではない。たとえば、工場をアトリエやギャラリーに改装した空間が好まれるのは、それが特性のない空間だからではない。工場の空間はむしろ逆に、きわめて明確な特性を持っている。工場には、様々な機械の自由な設置を可能にするために、できる限り無柱の大きな容積を持った空間が求められる。そこでの作業を考え、部屋の隅々まで光が均等に行き渡るように、天井にはそのためにもっとも適切な採光窓がとられる。その目標から逸脱する部位での建設コストは切り詰められる。工場はこうした論理を徹底することでつくられてきた。この結果として、工場は工場ならではの空間の質を持つに至る。 工場は、無限定の空間と均一な光で満たされるということと引き替えに、一般的な意味での居心地の良さを捨てるという、明確な特性を持った空間なのである。工場は、単に空間と光の均質を実現した抽象的な空間なのではない。工場は、そこでの作業を妨害しない範囲で、柱や梁(はり)の(注8)トラスが露出されている、きわめて物質的で具体的な空間なのである。 ⑬ このような空間に「自由」を感じるのは、そこではその空間の「使用規則」やそこでの「行動基準」がキャンセルされているからだ。「使用規則」をキャンセルされた物質の塊が別の行為への手がかりとして再生するからだ。原っぱもおなじだ。そこは雑草の生えたでこぼこのある更地であり、来るべき自由な行為のために整地されキューブとしてデザインされた空間なのではない。そこにはいろんな手がかりがある。 ⑭ 木造家屋を再利用したグループホームは、逆に空間の「使用規則」やそこでの「行動基準」がキャンセルされていない。その意味では「自由」は限定されているようにみえるが、そこで開始されようとしているのは別の「暮らし」である。からだと物や空間とのたがいに浸透しあう関係のなかで、別のひととの別の暮らしへと空間自体が編みなおされようとしている。その手がかりの充満する空間だ。青木はいう。「文化というのは、すでにそこにあるモノと人の関係が、それをとりあえずは結びつけていた機能以上に成熟し 、今度はその関係から新たな機能を探る段階のことではないか」、と。そのかぎりでC高齢者たちが住みつこうとしているこの空間には「文化」がある。 ⑮ 住宅は「暮らし」の空間である。「暮らし」の空間が他の目的を明確にもった空間と異なるのは、そこでは複数の異なる行為がいわば同時並行でおこなわれることにある。何かを見つめながら、まったく別の物思いにふけっている。食事をしながら、おしゃべりに興ずる。食器を洗いながら、子どもたちと打ち合わせをする。電話で話しながら、部屋を片づける。ラジオを聴きながら、家計簿をつける。食事、労働、休息、調理、育児、しつけ、介護、習い事、寄りあいと、暮らしのいろいろな(注9)象面がたがいに被(かぶ)さりあっている。これが住宅という空間を濃くしている。(犬なら、餌(えさ)を食いながら人の顔を眺めるということができない? 排尿しながら、他の犬の様子をうかがうということができない?) ⑯ 住宅は、いつのまにか目的によって仕切られてしまった。リヴィングルーム、ベッドルーム、仕事部屋、子ども部屋、ダイニングルーム、キッチン、バスルーム、ベランダ・・・・。生活空間がさまざまの施設や(注10)ゾーニングによって都市空間が切り分けられるのとおなじように、用途別に切り分けられるようになった。当然、ふるまいも切り分けられる。襖を腰を下ろして開けるというふうに、ふるまいを鎮め、それにたしかな形をあたえるのが住宅であったように、歩きながら食べ、ついでにコンピュータのチェックをするというふうに 、(注意されながらも)その形をはみだすほどに多型的に動き回らせるのも住宅である。D行為と行為をつなぐこの空間の密度を下げているのが、現在の住宅である。かつての木造家屋にはいろんなことがそこでできるという、空間のその可塑性によって、からだを眠らせないという知恵が、ひそやかに挿し込まれていた。木造家屋を再利用したグループホームは、たぶん、そういう知恵をひきつごうとしている。 (鷲田清一「身ぶりの消失」) (注) 1 グループホーム──高齢者などが自立して地域社会で生活するための共同住居。 2 デイ・サーヴィス──高齢者などのため、入浴、食事、日常動作訓練などを日帰りで行う福祉サービス。 3 いざりながら──座った状態で体の位置をずらしながら。 4 「何言うておすな」・「お座りやす」──それぞれ「何をおっしゃっているんですか」・「お座りなさいませ」の意。 5 痴呆──認知症への理解が深まる前に使われていた言葉。 6 青木淳──建築家(一九五六〜)。 7 ホワイトキューブ──白い壁面で囲まれた空間、美術作品の展示などに使う。 8 トラス──三角形を組み合わせた構造。 9 象面──ここでは暮らしのなかの場面のこと。 10 ゾーニング──建築などの設計において、用途などの性質によって空間を区分・区画すること。 問2 傍線部A「からだが家のなかにあるというのはそういうことだ 」とあるが、それはどういうことか。その説明として最適なものを次の中から選べ。 ① 身体との関係が安定した空間では人間の身体が孤立することはないが、他のひとびとと暮らすなかで自然と身に付いた習慣によって、身体が侵蝕されているということ。 ② 暮らしの空間でさまざまな記憶を蓄積してきた身体は、不自然な姿勢をたちまち正してしまうように、人間の身体はそれぞれの空間で経験してきた規律に完全に支配されているということ。 ③ 生活空間のなかで身に付いた感覚によって身体が規定されてしまうのではなく、経験してきた動作の記憶を忘れ去ることで、人間の身体は新しい空間に適応し続けているということ。 ④ バリアフリーに作られた空間では身体が空間から疎外されてしまうが、具体的な生活経験を伴う空間では、人間の身体は空間と調和していくことができるのでふるまいを自発的に選択できているということ。 ⑤ ただ物理的に空間の内部に身体が存在するのではなく、人間の身体が空間やその空間にいるひとびとと互いに関係しながら、みずからの身体の記憶に促されることでふるまいを決定しているということ。 問3 傍線部B「空間がそこで行われることに先回りしてしまってはいけない」とあるが、それはなぜか。その説明として最適なものを次の中から一つ選べ。 ① 原っぱのように、遊びの手がかりがきわめて少ない空間では、行為の内容や方法が限定されやすく空間の用途が特化される傾向を持ってしまうから。 ② 原っぱのように、使用規則やそこでの「行動基準が規定されていない空間では、多様で自由な行為が保証されているためにかえってその空間の利用法を見失わせてしまうから。 ③ 遊園地のように、明確に定められた規則に従うことが自明とされた空間では、行為が事前に制限されるので空間を共有するひとびとの主体性が損なわれてしまうから。 ④ 遊園地のように、その場所で行われる行為を想定して設計された空間では、行為相互の偶発的な関係から空間の予想外の使い方が生み出されにくくなるから。 ⑤ 遊園地のように、特定の遊び方に合わせて計画的にデザインされた空間では、空間の用途や行為の手順が誰にでも容易に推測できて興味をそいでしまうから。 問4 傍線部C「高齢者たちがすみつこうとしているこの空間には『文化』がある」とあるが、それはどういうことか。その説明として最適なものを次の中から一つ選べ。 ① 木造家屋を再利用したグループホームという空間では、人のふるまいが制約されているということとひきかえに、伝統的な暮らしを取り戻す可能性があるということ。 ② 木造家屋を再利用したグループホームという空間では、多くの入居者の便宜をはかるために設備が整えられているので、暮らすための手がかりが豊富にあり、快適な生活が約束されているということ。 ③ 木造家屋を再利用したグループホームという空間では、そこで暮らす者にとって、身に付いたふるまいを残しつつ、他者との出会いに触発されて新たな暮らしを築くことができるということ。 ④ 木造家屋を再利用したグループホームという空間では、空間としての自由度がきわめて高く、ひとびとがそれぞれ身に付けてきた暮らしの知恵を生かすように暮らすことができること。 ⑤ 木造家屋を再利用したグループホームという空間では、さまざまな生活歴を持ったひとびとの行動基準の多様性に対応が可能なため、個々の趣味に合った生活を送ることができるということ。 問5 傍線部D「行為と行為をつなぐこの空間の密度を下げているのが、現在の住宅である」とあるが、それはどういうことか。その説明として最適なものを次の中から一つ選べ。 ① 現在の住宅では、仕事部屋や子ども部屋など目的ごとに空間が切り分けられており、それぞれの用途とはかかわらない複数の異なる行為を同時に行ったり、他者との関係を作り出したりするような可能性が低下してしまっていること。 ② 現在の住宅では、ゾーニングが普及することでそれぞれの空間の独立性が高められており、家族であってもそれぞれが自室で過ごす時間が増えることで、人と人とが触れあい、関係を深めていくことが少なくなってしまっていること。 ③ 現在の住宅では、空間の慣習的な使用規則に縛られない設計がなされており、居住者たちがそのときその場で思いついたことを実現できるように、各自がそれぞれの行為を同時に行えるようになっていること。 ④ 木造家屋などかつての居住空間では、居間や台所など空間ごとの特性が際立っていたが、現代の住宅では、居住者が部屋の用途を交換でき、空間それぞれの特性がなくなってきていること。 ⑤ 木造家屋などかつての居住空間では、人体の運動と連動して空間が作り変えられるような特性があったが、空間ごとの役割を明確にした現在の住宅では、予想外の行為によって空間の用途を多様にすることが困難になっていること。 問6 この文章の表現について、次の(i)・(ii)の問いに答えよ。 (i)傍線部Xの表現効果を説明するものとして最適なものを次の中から一つ選べ。 ① 議論を中断し問題点を整理して、新たな仮説を立てようとしていることを読者に気づかせる効果がある。 ② これまでの論を修正する契機を与えて、新たに論を展開しようとしていることを読者に気づかせる効果がある。 ③ 行き詰まった議論を打開するために話題を転換して、新たな局面に読者を誘導する効果がある。 ④ あえて疑問を装うことで立ち止まり、さらに内容を深める新たな展開に読者を誘導する効果がある。 (ii)筆者は論を進める上で青木淳の建築論をどのように用いているか。その説明として最適なものを次の中から一つ選べ。 ① 筆者は青木の建築論に異を唱えながら、一見すると関連のなさそうな複数の空間を結びつけ、「暮らし」の空間として木造家屋を再利用したグループホームに関する主張をしている。 ② 筆者は青木の建築論の背景にある考え方を例に用いて、それぞれの作業ごとに切り分けられた現代の「暮らし」の空間を批判し、木造家屋を再利用したグループホームの有用性を説く主張を補強している。 ③ 筆者は青木の建築論を援用しながら、空間の編みなおしという知見を提示することで、「暮らし」の空間として木造家屋を再利用したグループホームに価値を見いだす主張に説得力を与えている。 ④ 筆者は青木の建築論を批判的に検証したうえで、現代の「暮らし」と工場における空間とを比較し、木造家屋を再利用したグループホームに自由な空間の良さがあると主張している。 全体講評 建築というテーマを扱った問題でしたが、いかがでしたでしょうか。 解説に入る前にこの文章がどういう文章だったかということについて、結論を言ってしまおうと思います。 文章をすべて読み終わったあとに、頭の中に以下のような対比構造が思い浮かべられていれば、あなたの読解は成功していると言えるでしょう。 対比項A グループホームの木造家屋(従来の住宅) 「原っぱ」 新しい行動が生み出される 対比項B バリアフリーの空間(現在の住宅) 「遊園地」 行動が制限される 逆に、 2つの対比項にうまく分けられず、ごちゃごちゃになってしまった 上記の対比で整理していたつもりが、途中からおかしくなった ここまで綺麗な対比だとは思わなかった(もっと複雑だと思った) という感想を持ってしまった人は、どこかで読解ミスをしているはずです。 たしかに、僕自身、この文章が読みやすかったかと言われてみれば必ずしもそうとは思いません。具体的には解説の中で語っていきますが、「接続語が省略されていて読みにくく、誤読しかねない」箇所があったことも事実です。しかし、接続語をいつも使うことが必須ルールではありませんし、日本語はその辺のルールは非常にゆるいのです。 今回の文章は「グループホーム」「バリアフリー」などきわめて身近で具体的な言葉が沢山出てきており、接続語に頼らずとも筆者の頭の中の対比項は十分に想像できるはずです。誤読を招いてしまった人は、どう読めていればよかったのか、ということを意識して以下の解説を読んでいくようにしてください。 解答 問1 (ア)⑤ (イ)④ (ウ)② (エ)④ (オ)① 問2 ⑤ 問3 ④ 問4 ③ 問5 ① 問6 (i)④ (ii)③ 解説 では頭からいきましょう。 はじめの数行で、建築に関する言葉が頻発しており、注もついています。 筆者は、「木造民家」を使う「デイ・サーヴィス」の高齢者用の「グループホーム」を思い出した、と言っています。 それが具体的に描写され、傍線部Aで「そういうことだ」とまとめられます。 傍線部A内には「からだが家のなかにある」というややレトリカルで比喩的な表現が入っています。これを直前で説明されている「和室の居間」での「ふるまい」の内容から理解できたかどうかですが、簡単にまとめるなら、 和室の居間では立ったままいることは不自然であり、自然と腰をおろしてしまう ということです。もう少し抽象化するなら、 その空間に合った(応じた)「からだで憶えているふるまい」を自動的にしてしまう と言ってもいいでしょう。 傍線部直後の「空間との関係で」「他のひとびととの関係で」などといった表現もかなりヒントになります。 ▶問2は、以上を押さえた⑤が正解です。選択肢後半を並べてみて一覧してみると、③の「空間に適応」という箇所に反応したくなりますが、中央部に「記憶を忘れ去る」とあり本文の内容と矛盾します。残ったものに関しては、以下のように見ることができれば、すぐに不正解だと判定できるため、正解はすぐに浮き彫りになったはずです。 ①:「身体が侵蝕」? ②:「完全に支配」× (「支配」という表現は①の「侵蝕」とも似ている) ④:「自発的に選択」×(自然と腰を下ろすわけなので、選択というステップは入ってこない) 次の段落ですが、冒頭部 「バリアフリー」に作られた空間ではそうはいかない。 という箇所を見た瞬間に、「木造家屋(筆者が今回テーマにしているもの)」と「バリアフリー」の対比を意識することができます。こういうところに反応できるためには、否定語(赤字の箇所)に反応する習慣をつけることが大切です。 人によってはここで冒頭部をもう一度チラ見して振り返れたことでしょう。冒頭部(本文2〜3行目)に、「『バリアフリー』からはほど遠い」という表現がありました。「遠い」や「隔たる」といった表現も、対比を構成するのに立派な表現ですが、冒頭を読んだときに気付けなくても、今回、この段落で対比に気付くことができたはずです。 そして、「バリアフリー」の空間を筆者は「抽象的」であり、からだが「空間の〈外〉」にある、と言っています。先ほどの傍線部Aに「なか」という表現がありましたから、ここでも内容的に「外⇔中」という対比を確認することができます。そして、面白いことに、この段落の3行目に出てきた「忘れ去る」「からだを侵蝕」という表現は、先ほどの問2の誤答選択肢③①にそれぞれ対応していることに気付けましたでしょうか。これらの表現は、「バリアフリー」を説明した表現であり、「木造家屋」の話では全くないのです。こういう観点から見ても、改めて、問2は対比の整理を問うていた問題であったと言えます。 その次の2段落分は、バリアフリーの空間についてより具体的な説明が行われています。「物との関係が切断されれば」「物とのより滑らかな関係に」など、相同表現が反復されていますし、前の段落に出てきた「人体の運動に合わせた」という表現も「人体の運動に対応づけられた」、と反復されています。こういった表現を通して、バリアフリー空間がどんなものかについて少しずつ輪郭が明確になっていくのではないでしょうか。設問が設置されているわけではないので、あまり時間をかけて読むべきではありませんし、あくまで対比を忘れないでいることがここでは重要です。 そして、「中身」を「失う」という話が出てきました。これも、「抽象的」であることを繰り返しているととればいいでしょう。 そして波線部X以降、『原っぱと遊園地』の援用に入ります。早速、 「原っぱ」=「そこでおこなわれることが空間の『中身』を創ってゆく場所」 「遊園地」=「あらかじめそこで行われることがわかっている建築」 と定義されました。こうした「定義」の箇所というのは読解においても設問を解く際においても絶対的な参照軸になりますから、強く押さえておくべき内容です。 そして、「原っぱ」の定義の中に「中身」という言葉が出てきたことから、波線部Xの箇所への理解も深まってきます。すなわち、木造家屋とバリアフリーの対比をする中で自然と「中身」という表現が出てきてしまったことから、ふと青木淳の論を思い出したということです。 ▶問6(i)は④です。ほかは、①「新たな仮説」、②「これまでの論を修正」、③「話題を転換」、あたりが誤りです。 ちなみに、この時点ではまだ解ききれないのですが、問6(ii)も①「異を唱えながら」、②「批判的に検証」の2つは明確に切れることがわかりますね。 そして傍線部Bがやって来ました。 直前部で、青木が「原っぱ」の空間を推していることが分かります。そこには 「行為と行為をつなぐものそれ自体をデザインするような建築」 という説明があります。「デザイン」という表現は直前段落にも出てきており、そういう箇所を読み直すことによって「原っぱ」の概念を深く理解していくことが大切です。 そうすれば、傍線部中の「先回りしてしまってはいけない」という箇所に対するイメージも湧いてくるはずです。先回りしないというのは、遊園地のように「はじめから役割が決まっていない」ということを言っているに過ぎません。 ▶問3ですが、すべての選択肢が「・・・てしまう」と、批判的な文脈で書かれていることをまずは意識してください。となれば、今回の文脈は「遊園地」を否定し「原っぱ」を肯定する文脈ですから、①②のように「原っぱではこうなってしまう」と説明するのはおかしいはずです。③④⑤の述部だけ見比べてみてください。すると③の「主体性」や⑤の「興味」を切ってもらってもいいですし、「デザイン」や「『中身』を創る」というニュアンスを出している選択肢は④しかありません。(「生み出され」という表現です。)「偶発的」が気になった人もいたと思いますが、これは遊園地の定義である「あらかじめ・・・分かっている」という内容を裏返せば十分理解できるものですし、もし本文に戻る暇があれば、戻ってみると、傍線部Bの3行くらい前に「たまたま」という表現が見事にあるんですよね。いずれにしても、④を落としてしまった人は語彙力・読解力不足と言わざるを得ません。 その後、「では」で一歩話題が前進・展開し、深まります。「造作はすくないほうがいいのか」「ホワイトキューブのような・・・ハコが理想的だということになるのだろうか」という問題提起が並びました。問題提起も、先ほどの定義文同様、論理展開を押さえるうえでの絶対的な参照軸になりますから、強く押さえてください。 問題提起として「果たして〜だろうか」というような言い方をした場合、多くは反語表現であり、事実上の否定です。すなわち、「原っぱの空間というのは、そこから初めて中身を創り出すような場ではあるけれども、はじめからなんにもないということではないよ」と筆者は言いたいのでしょう。(あくまで推測です。) この推測が合っているかどうかを、その後の引用文を読解する中で確認していけばいいのです。すると、具体例として「工場」が出てきて、そのなかで「明確な特性」という表現が二度繰り返され、さらには「物質的」「具体的」と出てきました。 ここで、冒頭のほうで、筆者が「バリアフリー」の空間を「抽象的」と言っていたことを思い出してください。辻褄を合わせられますか? A 木造家屋 「原っぱ」「工場」 具体的 B バリアフリー 「遊園地」 抽象的 こういうことです。(余談ですが、引用文の中に「均質」という表現が出てきており、近代空間について触れていた2008年のセンター試験第1問を彷彿とさせます。空間についての評論文というのがこの数年間で複数回出ているというのは非常に興味深いですね。) 引用文直後の段落で「使用規則」「行動基準」の「キャンセル」、という言い方が出てきました。そして、「工場」や「原っぱ」では「キャンセルされている」のに、「木造家屋」では「キャンセルされていない」と言うのですから、少しここは複雑です。今回の文章で厄介なところがあるとすればここでしょうね。本文の内容を表で整理し直すならば、このようになります。 A 木造家屋 使用規則・行動基準○ 自由は限定されているように見える 別の「暮らし」が開始されようとしている ・具体的・中身を創っていく場所 原っぱ(工場) 使用規則・行動基準× 自由を感じる 別の行為への手がかりとして再生する B バリアフリー遊園地 ・抽象的・あらかじめそこで行われることがわかっている建築 こう見てみると、「工場」の話はかえって話を混乱させているだけのように見えますが、問題提起を改めて参照するならば、筆者は「(造作が少ないほうがいいなんていうことはなく、)造作が少しでもあることでそれが手がかりとなって中身が創られていく」と言っているだけに過ぎません。「手がかり」という言葉がこの文章では多用されており、正直しっくりこない人もいると思いますが、完全に理解する必要はありません。解くことを考えるならば、基本線としては「原っぱ(工場)」と「木造家屋」は対比ではなく類比の関係であり、ともに「中身を創っていく場所」だと大枠をしっかり押さえておけば問題ありません。「どこまで読めればいいのか」については正直慣れも肝心で、文章量を設問数で割り算することで1問あたりで問われている内容がどの程度のものかを、演習を通じて学んでいき感覚的につかんでいくことが大切です。上記の表のレベルの細かい理解をセンター試験・共通テストが問うことは非常に考えにくいです。 改めて、大枠をまとめるならば、 A 木造家屋 「原っぱ」 具体的 用途自由 B バリアフリー 「遊園地」 抽象的 用途制限 このくらいの理解で問題ありません。用途が「自由」だからこそ、そこでは「別の」暮らしが始まるんだと筆者は言っています。そして、再び青木の引用をしながら、「文化」の定義を行っています。 「文化というのは、すでにそこにあるモノと人の関係が、それをとりあえずは結びつけていた機能以上に成熟し、今度はその関係から新たな機能を探る段階のことではないか」 これが傍線部Cに繋がっています。 傍線部C中の「この空間」というのはもちろん「木造家屋」のこと。とすれば、 木造家屋は用途が自由であり新しい(別の)空間がそこで作られるんだ 文化というのは新しい機能を探っていく段階のことだ だから木造家屋は文化である=傍線部C と、いわゆる三段論法のような構成になっていることに気付けたでしょうか。そこまで論理的な整理が行えなくても、「文化」についての定義を拾うことが、そのまま設問に解答することに繋がっていきます。 ▶問4は、個人的には今回の大問の中で一番の易問でした。述部に「新しい空間」「新しい機能」といった内容が入っているのは③しかありません。他の選択肢は、本文と矛盾しているから消えるというよりかは、「文化」の定義を含んでいないためピンぼけしている、と解釈すべきで、消去することに苦労しているようでは得点できない、そんな問題になっていたと言えるでしょう。そもそも「文化」の定義を外して説明している(=必要条件を無視した説明になっている)時点で正解の候補からは外れるわけで、これが正解の選択肢を一瞬で炙り出すコツだとも言えるでしょう。「他者との出会いに触発」という箇所に引っ張られてこの選択肢を選べなかった人もいるかもしれませんが、「別のひととの別の暮らし」と本文にあるので問題ありません。 残すところ2段落となりました。 さて、段落冒頭、対比の存在に気付きましたか。 住宅は「暮らし」の空間である。A「暮らし」の空間がB他の目的を明確にもった空間と異なるのは、そこでは複数の異なる行為がいわば同時並行でおこなわれることにある。 分かりやすいように着色したりしてみました。 「異なる」とあるので対比は明確です。そもそも、「暮らし」という一般名詞にわざわざカギカッコがついている理由が分かりますか。それは、直前段落に出てきた「別の暮らし」へと編み直していく、という論点・文脈を受けていることを表しています。ですから、「暮らし」の空間というのは「木造家屋」や「原っぱ」に対応します。一方で「他の目的を明確にもった空間」が「バリアフリー」や「遊園地」に対応することは、「明確」という表現からまさに「明確」に分かりますね笑。 そして、ここで新しい論点として「複数の異なる行為」が「同時並行」で行われるという話が出てきました。そして具体例の羅列がかなりの量、続いてます。 これを頭に入れた上で最終段落に突入。今回、読みにくい文があったとすればこの最終段落ではないでしょうか。接続語なしで対比項のそれぞれが混ざるように出てきます。 先に傍線部Dを見てほしいのですが、ここでは「現在の住宅」について述べられています。そして、「密度を下げている」というネガティブな表現から察してほしいのですが、これは「中身を創る」という概念とは真逆であることが分かりますか。 これまで、 問2「家のなかにある」 問3「先回りしてしまってはいけない」 問4「この空間には『文化』がある」 の3問は、すべて、紛れもなく「木造空間」や「原っぱ」についての理解を問うていいましたが、実は、今回の傍線部は、それと対比される概念である「バリアフリー」や「遊園地」のほうについて直接的に問うている唯一の設問だったのです。(たしかに、同じことを何度も何度も問うてしまうのは入試問題の構造としてはあまりよくないですね。幅広く問うたほうが受験生の総合的な理解を問うことができます。) 最終段落を引用しつつ、分析するとこうなります。 住宅は、いつのまにか目的によって仕切られてしまった。 生活空間が、・・・ゾーニングによって都市空間が切り分けられるのとおなじように、用途別に切り分けられるようになった。 当然、ふるまいも切り分けられる。 襖を下ろして開けるというふうに、ふるまいを鎮め、それにたしかな形をあたえるのが住宅であったように、 ・・・多型的に動き回らせるのも住宅である。 D行為と行為をつなぐこの空間の密度を下げているのが、現在の住宅である かつての木造家屋には、いろんなことがそこでできるという、空間のその可塑性によって、・・・。 ※可塑性=形を変えやすいこと。変化しやすい状態。 冒頭の「いつのまにか」という表現が、時代の変化というものを示唆しています。この時点で皆さんは「過去(従来・本来)」と「現在(実際)」という対比軸を意識して読まなければなりません。ここで気付けなければ、「であった」という過去形の表現から気付くこともできるでしょう。 太字にした箇所は、「バリアフリー」や「遊園地」といった、現代における抽象的な空間を説明した箇所です。 一方で、黄色で着色した箇所は、「木造家屋」や「原っぱ」といった、筆者がこの文章でテーマにしている具体的・物理的・創造的な空間を説明した箇所です。最後の「可塑性」という言葉を知っていればラッキーです。(こういうところで語彙力が活きてきます。) 今回、この問題を難しいと感じた人は、おそらく、直前の文と傍線部の関係が押さえられなかったのです。直前の文は筆者にとっての「本来の住宅(=木造家屋)」、傍線部は「現在の住宅」の話なのですが、傍線部Dの直前に「しかし」などの接続語もないため、苦戦したのでしょう。しかし、ヒントはこれだけ沢山そろっていたのです。 ▶問5ですが、「現在の住宅」について聞いているのが本設問だと分かっていれば、④⑤は一瞬で切れます。残ったものについても、③は「行える」という肯定形になっている時点で正解の候補にはしにくいです。迷うなら①と②ですが、②の「ゾーニング」は都市空間における区画に関する用語であり、ここでは持ってくるべきではありませんし、何よりも、「家族」など「人」との「触れあい」が少ないというのは一般論としてはアリですが、「行為と行為をつなぐ」というのはそういうことではありません。その内容はこれまでの設問で確認してきたように、「予想外の使い方を生み出す」(問3)、「新たな暮らしを築く」(問4)、といった内容であるはずです。答えは迷わず①です。 ここまで振り返ってみると、面白いことに、問3〜5の正解の選択肢はすべて共通して、 問3:「生み出され」 問4:「築き」 問5:「作り出し」 といった表現が入っており、いかにこの文章が一貫して書かれているものであるかを物語っています。 ▶最後に、残していた問6(ii)ですが、②と③の違いに気付けましたか。それは、「『暮らし』の空間」扱いです。まとめると以下の表のようになりますが、②の選択肢は「暮らし」に「現代の」という修飾語をくっつけているのが気になります。それを差し置いたとしても、現在の住宅について筆者は「批判」しているとは言い過ぎです。この文章は、木造家屋とバリアフリーを対比しているのが文章の中心です。その最終的な価値判断については、本文の最終文「木造家屋・・・は、たぶん、そういう知恵をひきつごうとしている」という書き方であり、あくまで「こういう見方ができるよね」という言い方です。それを言っているのは③の「(価値を)見いだす」という表現であり、②の「有用性を説く」という表現にも疑問が残ります。いずれにしても、③を差し置いて②を選ぶというのは困難です。 A 木造家屋 用途自由 「暮らし」の空間 本来の空間 B バリアフリー 用途制限 目的を明確にもった空間 現在の住宅 いかがでしたか。 試験時間内にすべての言葉を理解して100%読解するのは難しいのかもしれませんが、具体例や引用文による説明も充実しており、文章全体を貫通する対比を頭に入れて読んでいれば、大きく踏み外すことはなかったのではないでしょうか。パッと見で不正解の選択肢の「合っている部分」に反応することはあっても、問6(ii)のようなものを除いて、「迷う」に値する選択肢はなかったと断言できます。ケアレスミス含め、1問でも間違えた人はよく復習してください。 なお、漢字の問題は、(ア)だけ難易度は高かったかもしれません。「挙措」→「暴挙」で⑤ですが、②「去就」なんかもそう多く出てくる熟語ではないですからね。ここに関しては日々の訓練あるのみ、としか言いようがありません。(なお、「挙措」は「振る舞い」という意味ですから、知らなかった人は是非覚えておいてください。)
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問1 3問とも、辞書の定義から考えれば一発で答えが出る。ウについては、①の「けはい」を選ぶ人がいるかもしれないが、「気配」であるとするならば、なんらかの人や動物や生き物などのそこに存在していることが必要であり、文脈と照合すると、弟が感じ取っているのはあくまで夜の光が露わにした異様な世界の「風景・景色」なので、「けはい」はNG。 問2 弟が自分のことを「乳飲み子のように道理をわきまえない子」だと考えている理由を探る。すると直前で、弟「帰ろうよ」→兄「お金をもらったら帰る」という会話があり、さらに「弟の目には兄がおとなっぽく映った」とある。ここから「おとなっぽく←→乳のみ児」の対比が確認でき、「お金を得るという目的の達成を諦めていない兄と違って、そこから逃げようとする未熟な自分に腹立たしく感じる」というポイントが得られる(根拠a)。そして傍線部直後の「いったい兄は皿の桃をどう思っているのだろう」や「どうして平然とおちつきはらっていられるのだろう」という表現から、弟から見た兄について「「輝くばかりの桃に全く動じない兄」というポイントもあたらに得られる(根拠b)。この2つを合わせて、「桃にも動じず、お金を得ることだけを考えている兄に比べて、その場から逃げようとする未熟な自分に腹立たしさを感じている」という趣旨のものを選べば、④しかない。 問3 「要するに」という接続語と「こんな」という指示語から、直前に対応する内容があると考える。すると、 【社長ともあろう方=昔自分のことを「世話」するぐらいの高い地位にいた社長】 が、 【こんなケチなペテン=「屑米と糠」を「たっぷり混ぜ」るという行為】 をしたことに対して、 【残念=「あんまりみくびってもらいたくない」】 と思う気持ち。 という形で整理することが出来る。これを踏まえているのは、⑤しかない。 問4(これが一番解説に苦労しますねぇ。) まず、傍線部に注目すると、「まあ何だな」「~しさ」といった口調で書かれている。このような言い方をしていることにはどんな意図があるのかを考えねばならない。なぜ、「桃を食べなかった」という自分の行動をわざわざ振り返っているのだろうか。そのことを確認するために、傍線部周辺から兄の心情を拾う必要がある。まず、傍線部直後からは木犀の話に移るので傍線部より前が根拠拾いの範囲である。すると、弟が異様な夜景に惹かれる中、兄は、「どうしよう」「がっかりしたな」という表現からも分かるように「不安/落胆」の気持ちである。これは要するに「お金が手に入らなかったことへの悔しさ」と考えることが出来る。そういう中「桃は食べなかったしさ」というセリフを言っている、という文脈をまずは確認する。 その上で、次に「桃は食べなかった」という行為の意味を考える。問2(傍線Aの問題)で確認したように、弟が桃に関心を持つ中、兄は桃には無関心であった。この行為は、「自分の役目を果たすために唯一なしとげられたこと」と言える。つまり、兄は、「桃を食べなかった」という自分の唯一の成果を自分で口にすることで、「不安/落胆」の気持ちを少しでも紛らわそうとしている(orやわらげようとしている)のである。しかも、傍線部の数行前には「『なんだよ』」「とげとげしい返事」とあり、一種の「強がり」な気持ちが表明されている。このこととリンクさせればより確信が持てるはずである。結局、この設問は、兄が持つ「強がり」と「不安」というアンビバレントな心情が描かれていることを確認させる設問だったのである。このことを踏まえれば、③が答え。 問5 「本文を通して」とあるが、まずは傍線部とその周辺を分析するべきであり、必要に応じて傍線部から離れた箇所も確認すればいい。傍線部を参照すれば、兄と弟の見ているものが違う、ということが確認出来るので、「兄の見ているもの」「弟の見ているもの」という2つのポイントを拾っていくのがまずやるべき作業である。すると、弟は目の前の異様な世界の光景という、幻想的なものを見ていることが分かる。一方、兄については、「ここはどこだろう」と言って震えており、また、「え?」という返事からも分かるように弟に同調することが出来ていないため、目の前の(現在の)状況を見ていると言える。こうした2人のすれ違いが把握出来る。この段階で選択肢チェックをかけてもいいが、こうした対比とほぼ同じことを問うていた問2に遡ってみると、現在の状況を見ている兄と、目の前の桃を見ている弟、という対比があり、ここまで確認すれば解答のポイントに確信を持つことが出来るだろう。その上で選択肢を見れば、即答で①がマーク出来る。 問6 「木犀」の役割を問うているので、傍線部Cの次の行から改めて確認していけばいい。すると、以下のようなことが確認出来る。 a)兄の「さがしてみよう」という発言から、今までお金を得られず「がっかり」していた兄とのギャップが読み取れる。つまり「木犀」が「不安(or現実)からの解放感」を兄弟(少なくとも兄)に与えている。このことは、数行後の「月の光のもとで何かをさがすというのは秘密めいた昂奮をおぼえるものであり、店での屈辱を忘れることもでき」というところからも確認出来る。 b)弟が兄との別行動を「ためらった」ために、2人で一緒に木犀を探している。このことから、木犀は「兄弟の絆」を(読者に)印象付けるような働きもしている。 c)しかしながら、木犀を追い続けて遠くまで来た兄弟の中には、問5(傍線D)で確認したような「心情の対立」が生じている。このことから、木犀は、この文章全体を通して描かれていた「兄弟の心情的対立」「兄弟の性格の違い」を改めて確認させるような働きもしている。 以上を踏まえて選択肢を参照すれば、 ①→aを踏まえている ②→木犀は結局見つからなかったのだから、「何かを強く望めばそれが手に入ることもあり得るという実感」は明らかに×。 ③→aとcを踏まえている ④→bを踏まえている ⑤→aを踏まえている というふうに分析でき、②が答え。
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本文 次の文章を読んで、後の問いに答えよ。 【1】フロイトによれば、人間の自己愛は過去に3度ほど大きな痛手をこうむったことがあるという。1度目は、コペルニクスの地動説によって地球が天体宇宙の中心から追放されたときに、2度目は、ダーウィンの進化論によって人類が動物世界の中心から追放されたときに、そして3度目は、フロイト自身の無意識の発見によって自己意識が人間の心的世界の中心から追放されたときに。 【2】しかしながら実は、人間の自己愛には、すくなくとももうひとつ、フロイトが語らなかった傷が秘められている。だが、それがどのような傷であるかを語るためには、ここでいささか回り道をして、まずは「ヴェニスの商人」について語らなければならない。 【3】ヴェニスの商人━━のそれは、人類の歴史の中で「ノアの洪水以前」から存在していた商業資本主義の体現者のことである。海をはるかへだてた中国やインドやペルシャまで航海をして絹やコショウや絨毯(じゅうたん)を安く買い、ヨーロッパに持ちかえって高く売りさばく。遠隔地とヨーロッパとのあいだに存在する価格の差異が、莫大(ばくだい)な利潤としてかれの手元に残ることになる。すなわち、ヴェニスの商人が体現している商業資本主義とは、地理的に離れたふたつの国のあいだの価格の差異を媒介して利潤を生み出す方法である。そこでは、利潤は差異から生まれている。 【4】だが、A経済学という学問は、まさに、このヴェニスの商人を抹殺することから出発した。 【5】年々の労働こそ、いずれの国においても、年々の生活のために消費されるあらゆる必需品と有用な物資を本源的に供給する基金であり、この必需品と有用な物資は、つねに国民の労働の直接の生産物であるか、またはそれと交換に他の国から輸入したものである。 【6】『国富論』の冒頭にあるこのアダム・スミスの言葉は、一国の富の増大のためには外国貿易からの利潤を貨幣のかたちで蓄積しなければならないとする、重商主義者に対する挑戦状にほかならない。スミスは、一国の富の真の創造者を、遠隔地との価格の差異を媒介して利潤をかせぐ商業資本的活動にではなく、勃興(ぼっこう)しつつある産業資本主義のもとで汗水たらして労働する人間に見いだしたのである。それは、経済学における「人間主義宣言」であり、これ以後、経済学は「人間」を中心として展開されることになった。 【7】たとえば、リカードやマルクスは、スミスのこの人間主義宣言を、あらゆる商品の交換価値はその生産に必要な労働量によって規定されるという労働価値説として定式化した。 【8】実際、リカードやマルクスの眼前で進行しつつあった産業革命は、工場制度による大量生産を可能にし、1人の労働者が生産しうる商品の価値(労働生産性)はその労働者がみずからの生活を維持していくのに必要な消費財の価値(実質賃金率)を大きく上回るようになったのである。労働者が生産するこの剰余価値――それが、かれらが見いだした産業資本主義における利潤の源泉なのであった。もちろん、この利潤は産業資本家によって搾取されてしまうものではあるが、リカードやマルクスはその源泉をあくまでも労働する主体としての人間にもとめていたのである。 【9】だが、産業革命から250年を経た今日、ポスト産業資本主義の名のもとに、旧来の産業資本主義の急速な変貌(へんぼう)が伝えられている。ポスト産業資本主義――それは、加工食品や繊維製品や機械製品や化学製品のような実体的な工業生産物にかわって、B技術、通信、文化、広告、教育、娯楽といったいわば情報そのものを商品化する新たな資本主義の形態であるという。そして、このポスト産業資本主義といわれる事態の喧騒(けんそう)のなかに、われわれは、ふたたびヴェニスの商人の影を見いだすのである。 【10】なぜならば、商品としての情報の価値とは、まさに差異そのものが生み出す価値のことだからである。事実、すべての人間が共有している情報とは、その獲得のためにどれだけ労力がかかったとしても、商品としては無価値である。逆に、ある情報が商品として高価に売れるのは、それを利用するひとが他のひととは異なったことが出来るようになるからであり、それはその情報の開発のためにどれほど多くの労働が投入されたかには無関係なのである。 【11】まさに、ここでも差異が価格を作り出し、したがって、差異が利潤を生み出す。それは、あのヴェニスの商人の資本主義とまったく同じ原理にほかならない。すなわち、このポスト産業資本主義のなかでも、労働する主体としての人間は、商品の価値の創造者としても、一国の富の創造者としても、もはやその場所をもっていないのである。 【12】いや、さらに言うならば、伝統的な経済学の独壇場であるべきあの産業資本主義社会のなかにおいても、われわれは、抹殺されていたはずのヴェニスの商人の巨大な亡霊を発見しうるのである。 【13】産業資本主義ーーそれも、実は、ひとつの遠隔地貿易によって成立している経済機構であったのである。ただし、産業資本主義にとっての遠隔地とは、海のかなたの異国ではなく、一国の内側にある農村のことなのである。 【14】産業資本主義の時代、国内の農村にはいまだに共同体的な相互扶助の原理によって維持されている多数の人口が滞留していた。そして、この農村における過剰人口の存在が、工場労働者の生産性の飛躍的な上昇にもかかわらず、彼らが受け取る実質賃金率の水準を低く抑えることになったのである。たとえ工場労働者の不足によってその実質賃金率が上昇しはじめても、農村からただちに人口が都市に流れだし、そこでの賃金率を引き下げてしまうのである。 【15】それゆえ、都市の産業資本家は、都市にいながらにして、あたかも遠隔地交易に従事している商業資本家のように、労働生産性と実質賃金率という二つの異なった価値体系の差異を媒介できることになる。もちろん、そのあいだの差異が、利潤として彼らの手元に残ることになる。これが産業資本主義の利潤創出の秘密であり、それはいかに異質に見えようとも、利潤は差異から生まれてくるというあのヴェニスの商人の資本主義とまったく同じ原理にもとづくものなのである。 【16】この産業資本主義の利潤創出機構を支えてきた労働生産性と実質賃金率とのあいだの差異は、歴史的に長らく安定していた。農村が膨大な過剰人口を抱えていたからである。そして、この差異の歴史的な安定性が、その背後に「人間」という主体の存在を措定 (→「想定」という意味)してしまう、C伝統的な経済学の「錯覚」を許してしまったのである。 【17】かつてマルクスは、人間と人間との社会的な関係によってつくりだされる商品の価値が、商品そのものの価値として実体化されてしまう認識論的錯覚を、商品の物神化と名付けた。その意味で、差異性という抽象的な関係の背後にリカードやマルクス自身が措定してきた主体としての「人間」とは、まさに物神化、いや人神化の産物にほかならないのである。 【18】差異は差異にすぎない。産業革命から250年、多くの先進資本主義国において、無尽蔵に見えた農村における過剰人口もとうとう枯渇してしまった。実質賃金率が上昇しはじめ、もはや労働生産性と実質賃金率とのあいだの差異を媒介する産業資本主義の原理によっては、利潤を生みだすことが困難になってきたのである。あたえられた差異を媒介するのではなく、みずから媒介すべき差異を意識的に創(つく)りだしていかなければ、利潤が生み出せなくなってきたのである。その結果が、差異そのものである情報を商品化していく、現在進行中のポスト産業資本主義という喧噪(けんそう)に満ちた事態にほかならない。 【19】差異を媒介して利潤を生み出していたヴェニスの商人(X) ━━あのヴェニスの商人の資本主義こそ、まさに普遍的な資本主義であったのである。そして、D「人間」は、この資本主義の歴史のなかで、一度としてその中心にあったことはなかった。 (岩井克人「資本主義と『人間』」による) 設問 問1(漢字問題は省略します) 問2 傍線部A「経済学という学問は、まさに、このヴェニスの商人を抹殺することから出発した」とあるが、それはどういうことか。その説明として最適なものを、次の中から一つ選べ。 ① 経済学という学問は、差異を用いて莫大な利潤を得る仕組みを暴き、そうした利潤追求の不当性を糾弾することから始まったということ。 ② 経済学という学問は、差異を用いて利潤を生み出す産業資本主義の方法を排除し、重商主義に挑戦することから始まったということ。 ③ 経済学という学問は、差異が利潤をもたらすという認識を退け、人間の労働を富の創出の中心に位置づけることから始まったということ。 ④ 経済学という学問は、労働する個人が富を得ることを否定し、国家の富を増大させる行為を推進することから始まったということ。 ⑤ 経済学という学問は、地域間の価格差を利用して利潤を得る行為を批判し、労働者の人権を擁護することから始まったということ。 問3 傍線部B「技術、通信、文化、広告、教育、娯楽といったいわば情報そのものを商品化する新たな資本主義の形態」とあるが、この場合、「情報そのもの」が「商品化」されるとはどういうことか。その具体的な説明として最適なものを、次の中から一つ選べ。 ① 多くの労力を必要とする工業生産物よりも、開発に多くの労力を前提としない特許や発明といった技術の方が、商品としての価値をもつようになること。 ② 刻一刻と変動する株価などの情報を、誰もが同時に入手できるようになったことで、通信技術や通信機器が商品としての価値をもつようになること。 ③ 広告媒体の多様化によって、工業生産物それ自体の創造性や卓越性を広告が正確にうつし出せるようになり、商品としての価値をもつようになること。 ④ 個人向けに開発された教材や教育プログラムが、情報通信網の発達により一般向けとして広く普及したために、商品としての価値をもつようになること。 ⑤ 多チャンネル化した有料テレビ放送が提供する多種多様な娯楽のように、各人の好みに応じて視聴される番組が、商品としての価値をもつようになること。 問4 傍線部C「伝統的な経済学の『錯覚』」とあるが、それはどういうことか。その説明として最適なものを、次の中から一つ選べ。 ① 産業資本主義の時代に、農村から都市に流入した労働者が商品そのものの価値を決定づけたために、伝統的な経済学は、価値を定める主体を富の創造者として実体化してしまったということ。 ② 産業資本主義の時代に、都市の資本家が農村から雇用される工場労働者を管理していたために、伝統的な経済学は、労働力を管理する主体を富の創造者と仮定してしまったということ。 ③ 産業資本主義の時代に、大量生産を可能にする工場制度が労働者の生産性を上昇させたために、伝統的な経済学は、大きな剰余価値を生み出す主体を富の創造者と認定してしまったということ。 ④ 産業資本主義の時代に、都市の資本家が利潤を創出する価値体系の差異を積極的に媒介していたために、伝統的な経済学は、その差異を媒介する主体を利潤の源泉と見なしてしまったということ。 ⑤ 産業資本主義の時代に、農村の過剰な人口が労働者の生産性と実質賃金率の差異を安定的に支えていたために、伝統的な経済学は、労働する主体を利潤の源泉と認識してしまったということ。 問5 傍線部D「『人間』は、この資本主義の歴史のなかで、一度としてその中心にあったことはなかった」とあるが、それはどういうことか。本文全体の内容に照らして最適なものを、次の中から一つ選べ。 ① 商業資本主義の時代においては、商業資本主義の体現者としての「ヴェニスの商人」が、遠隔地相互の価格の差異を独占的に媒介することで利潤を生み出していたので、利潤創出に参加できなかった「人間」の自己愛には深い傷が刻印されることになった。 ② アダム・スミスは『国富論』において、真の富の創造者を勤勉に労働する人間に見いだし、旧来からの交易システムを成立させていた「ヴェニスの商人」を市場から退場させることで、資本主義が傷つけた「人間」の自己愛を回復させようと試みた。 ③ 産業資本主義の時代においては、労働する「人間」中心の経済が達成されたように見えたが、そこにも差異を媒介する働きをもった、利潤創出機構としての「ヴェニスの商人」は内在し続けたため、「人間」が主体として資本主義にかかわることはなかった。 ④ マルクスはその経済学において、人間相互の関係によってつくりだされた価値が商品そのものの価値として実体化されることを物神化と名付けたが、主体としての「人間」もまた認識論的錯覚のなかで物神化され、資本主義社会における商品となってしまった。 ⑤ ポスト産業資本主義の時代においては、希少化した「人間」がもはや利潤の源泉と見なされることはなく、価値や富の中心が情報に移行してしまったために、アダム・スミスの意図した「人間主義宣言」は完全に失効したことが明らかとなった。 問6 この文章の表現について、次の(ⅰ)・(ⅱ)の各問いに答えよ。 (i)最終段落の(X)のダッシュ記号「━━」のここでの効果を説明するものとして適当でないものを、次の中から一つ選べ。 ① 直前の内容とひと続きであることを示し、語句のくり返しを円滑に導く効果がある。 ② 表現の間(ま)を作って注意を喚起し、筆者の主張を強調する効果がある。 ③ 直前の語句に注目させ、抽象的な概念についての確認を促す効果がある。 ④ 直前の語句で立ち止まらせ、断定的な結論の提示を避ける効果がある。 (ⅱ)この文章の構成の説明として最適なものを、次の中から一つ選べ。 ① 人間の主体性についての問題を提起することから始まり、経済学の視点から資本主義の歴史を起源にさかのぼって述べ、商業資本主義と産業資本主義を対比し相違点を明確にした後、今後の展開を予測している。 ② 差異が利潤を生み出すことを本義とする資本主義において、人間が主体的立場になかったことを検証した後、その理由を歴史的背景から分析し、最後に人間の自己愛に関する結論を提示している。 ③ 人間の自己愛に隠された傷があることを指摘した後で、差異が利潤を生み出すという基本的な資本主義の原理をふまえてその事例の特徴を検証し、最後に冒頭で提起した問題についての見解を述べている。 ④ 差異が利潤を生み出すという結論から資本主義の構造と人間の関係を検証し、人間の労働を価値の源泉とする経済学の理論にもとづいて、具体的な事例をあげて産業資本主義の問題を演繹(えんえき)的に論じている。 解説・解答 問2 ③ 「抹殺」という否定語に着目。否定表現は対比をつくる。つまり、「ヴェニスの商人←→経済学」という対比構造を意識して整理すればよい。「ヴェニスの商人」については「この」という指示語をたどれば「差異」がキーワード、「経済学」については後ろの説明を読めば、死ぬほど繰り返されている「労働」がキーワードだと分かる。どちらも他の単語に言い換えるのは厳しいだろう。もれなくこの2つが入っている③が答えだ。 ①は、「そういう利潤追求」を否定する、という流れはいいのだが、「糾弾」という表現が誤り。「抹殺」という比喩表現の言い換えに失敗している。(「利潤追求は両者ともしているので、誤り」と解説している参考書もあるのだが、「そういう利潤追求」でひとまとめに解釈すべきだ。また、「労働」という超重要キーワードが抜けているところから消しても差し支えはない。) ②④はそれぞれ、経済学のキーワードである「産業資本主義」「労働」という語が前半に入ってしまっているため、明確に誤り。 ⑤は「人権を擁護」という話は本文中に一切ないため、誤り。 経済学の「利潤追求の不当性を糾弾」の部分が不適切です。本文に、このような記述はありません。 問3 ⑤ →この設問こそ、問題文本文の熟読・精読が不可欠です。 「問題文本文の熟読・精読」さえすれば、何でもない問題です。要約のメモはやめて、大切な部分に線を引くだけで十分です。 傍線部直後の「このポスト産業資本主義といわれる事態の喧騒のなかに、われわれは、ふたたびヴェニスの商人の影を見いだすのである」、 次の【10】段落の「なぜならば、商品としての情報の価値とは、まさに差異そのものが生み出す価値のことだからである」、 「ある情報が商品として高価に売れるのは、それを利用するひとが他のひととは異なったことが出来るようになるから」、 に注目してください。 ここで、【3】段落に着目すると、「ヴェニスの商人」とは「商業資本主義の体現者」(【3】段落)であり、「商業資本主義」とは、「地理的に離れたふたつの国のあいだの価格の差異を媒介して利潤を生み出す方法」です。「そこでは、利潤は差異から生まれている」のです。 従って、「差異そのものが生み出す価値」、「差異が生み出す価値」がキーワードになります。 つまり、「『情報そのもの』が『商品化』される」とは「『情報そのものの差異』が価値を生み出す」ということになります。 ①~④ 「差異が生み出す価値」に関連した記述になっていないので、不適切です。 ⑤ チャンネルの差異により、視聴者が番組を選択するという内容です。「チャンネル間の差異」が価値を決定することになるので、適切です。 問4 ⑤ 「この差異の歴史的な安定性(→「産業資本主義の利潤創出機構を支えてきた労働生産性と実質賃金率とのあいだの差異」が、「歴史的に長らく安定していた」こと)が、その背後に「人間」という主体の存在を措定(「想定」)してしまう、C伝統的な経済学の『錯覚』を許してしまったのである」 という文章の構造に着目する必要があります。 上記の「この」に注目して、直前の部分を熟読する必要があるということです。【14】~【16】段落のポイントを列記すると、以下のようになります。 【14】段落「農村における過剰人口の存在が、工場労働者の生産性の飛躍的な上昇にもかかわらず、彼らが受け取る実質賃金率の水準を低く抑えることになったのである。」 【15】段落「都市の産業資本家は、労働生産性と実質賃金率という二つの異なった価値体系の差異を媒介できることになる。これが産業資本主義の利潤創出の秘密であり、それはいかに異質に見えようとも、利潤は差異から生まれてくるというあのヴェニスの商人の資本主義とまったく同じ原理にもとづくものなのである。」 ↓ 【16】段落「この差異の歴史的な安定性 (→「産業資本主義の利潤創出機構を支えてきた労働生産性と実質賃金率とのあいだの差異」が、「歴史的に長らく安定していた」こと)が、その背後に「人間」という主体の存在を措定(「想定」)してしまう、C 伝統的な経済学の『錯覚』を許してしまったのである。」 以上の構造を、丁寧に把握してください。⑤が正解になります。 ①~④ 無関係です。本文に、このような記述はありません。 問5 ③ 傍線部の「この資本主義の歴史のなかで」に注目してください。 「商業資本主義」・「産業資本主義」・「ポスト産業資本主義」の三つの「主義」の内容を、チェックする必要があります。 三つの「主義」は、「差異によって利益を生み出す」点では共通しています。 具体的には、以下の各段落をチェックするとよいでしょう。 「商業資本主義」→【6】段落「遠隔地との価格の差異を媒介して利潤をかせぐ商業資本的活動」 「産業資本主義」→【14】・【15】段落 【14】段落「産業資本主義の時代、国内の農村にはいまだに共同体的な相互扶助の原理によって維持されている多数の人口が滞留していた。そして、この農村における過剰人口の存在が、工場労働者の生産性の飛躍的な上昇にもかかわらず、彼らが受け取る実質賃金率の水準を低く抑えることになったのである。」 【15】段落「都市の産業資本家は、あたかも遠隔地交易に従事している商業資本家のように、労働生産性と実質賃金率という二つの異なった価値体系の差異を媒介できることになる。もちろん、そのあいだの差異が、利潤として彼らの手元に残ることになる。これが産業資本主義の利潤創出の秘密であり、それはいかに異質に見えようとも、利潤は差異から生まれてくるというあのヴェニスの商人の資本主義(→「商業資本主義」)とまったく同じ原理にもとづくものなのである。」 「ポスト産業資本主義」→【9】・【10】段落 【9】段落「ポスト産業資本主義――それは、加工食品や繊維製品や機械製品や化学製品のような実体的な工業生産物にかわって、B技術、通信、文化、広告、教育、娯楽といったいわば情報そのものを商品化する新たな資本主義の形態であるという。そして、このポスト産業資本主義といわれる事態の喧騒(けんそう)のなかに、われわれは、ふたたびヴェニスの商人の影を見いだすのである。」 【10】段落「なぜならば、商品としての情報の価値とは、まさに差異そのものが生み出す価値のことだからである。」 ③は、「産業資本主義の時代においては、労働する『人間』中心の経済が達成されたように見えたが、そこにも差異を媒介する働きをもった、利潤創出機構としての『ヴェニスの商人』は内在し続けた」の部分が、以上の本文の説明の通りです。 つまり、「『ヴェニスの商人』は内在し続けていた」と、3つの「主義」を普遍的に把握しているので正解です。 ① 「利潤創出に参加できなかった『人間』の自己愛には深い傷が刻印されることになった」の部分は、本文にこのような記述がないので、誤りです。 ② 無関係です。本文に、このような記述はありません。 ④ 「主体としての『人間』もまた」「資本主義社会における商品となってしまった」の部分が明らかに誤りです。 ⑤ 「アダム・スミスの意図した「人間主義宣言」は完全に失効したことが明らかとなった」の部分が明らかに誤りです。 問6 ④ →この設問こそ、特に本文を読む前に読み、ポイントをチェックするべきです。(1)は単純な問題なので、本文を見るまでもなく、すぐに解答してよいでしょう。その後で、本文を読みながら、確認的にチェックするとよいと思います。 (i)④ ダッシュ記号の効果としては、「強調」の機能があります。 ④ 「断定的な結論の提示を避ける効果」のような婉曲表現ではありません。従って、正解は④です。 (ii)③ →この設問は問題3・4・5と同様に、「本文の全体構造」を問う問題です。「本文の全体構造」を把握していれば、容易に解答できます。 逆に言うと、問3・4・5と本設問の内、一つでもミスした一人は、「本文の全体構造」を完全に理解していることには、なりません。よく復習しておいてください。 ③が、本文の構成に合致しています。 ① 「商業資本主義と産業資本主義を対比」の部分が誤りです。 【15】段落の「これが産業資本主義の利潤創出の秘密であり、それはいかに異質に見えようとも、利潤は差異から生まれてくるというあのヴェニスの商人の資本主(→「商業資本主義」)とまったく同じ原理にもとづくものなのである。」に反します。 また、「今後の展開を予測している」も誤りです。このような記述は本文には、ありません。 ② 「最後に人間の自己愛に関する結論を提示している」の部分が誤りです。このような記述は本文には、ありません。 ④ 「人間の労働を価値の源泉とする経済学の理論にもとづいて」の部分が誤りです。また、「具体的な事例をあげて産業資本主義の問題を演繹(えんえき)的に論じている」の部分も誤りです。
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難易度表/ふつう/太鼓乱舞 皆伝 達人譜面は、配点★×2難易度★×7 - 2010-06-27 19 30 39
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日にち 6月21日(土)…ってことになってる 集合場所 T宅…らしい 集合時間 7時…だってお(o^ω^) テスト前(テストなんかなくても)の憂さ晴らしにちょぼさんとのもう! (o・ω・) 俺か?俺なのか? 大学間対抗飲み会! ルールは簡単 各大学の選手 2人一組(1人二役)でどれだけのめるか 単位は紙コップ(プラスティックでも可) 参加大学 東京大学 なっさん Tom.L.hide 上智大学 ka☆ku☆ni 剛先輩 慶応大学 you-chang 法政大学 幕さん kantai 中央大学 T-72 濱野 明治大学 king 持参するもの 各自好きな酒 …と遺書。 遺書!? コップは1杯250mlです 結果発表 東京大学 15度*6杯*250=22500 40度*1杯*250=10000 計32.500 慶応大学 15度*5杯*250=18750 40度*1杯*250=10000 計28.750 上智大学 10度*2杯*250=5000 25度*1杯*250=6250 40度*3杯*250=30000 計41.250 明治大学 40度*1杯*250=10000 中央大学 15度*5杯*250=18750 25度*1杯*250=6250 40度*4杯*250=40000 計65.000